会社員とフリーランスの時間とお金の関係について

この記事はAdvent Calendar 2016の「フリーランスの今年とお金の話」の14日目の記事です。
昨日の、あかつかゆうこさんの記事がとても読みやすくていい記事だったので、あわてていろいろ書き直しました(笑)

はじめましての方もいらっしゃると思いますので、簡単に自己紹介をいたします。
川井昌彦と申します。
東京での長い会社員生活を経て、今は京都府北部の舞鶴市でWeb・DTP制作をしています。
今年7月に大阪大学で行われたWordPressの大規模カンファレンス「WordCamp Kansai 2016」でセッションスピーカーをさせていただきました。
その他、年に何度か、関西のWeb系の勉強会で登壇したりしています。

カレンダー共通のテーマは「フリーランスのお金にまつわること」となっていますので、会社員時代の時間とお金の話と、それがフリーランスになってどう変わったかというようなことを書いていきたいと思います。

最初の会社は最高月収70万円、とことん無理できた20代

私は国立舞鶴高専を卒業したのち、横浜の情報処理システム関連機器の製造を行っている会社に就職しました。

入社して数年後、私は大阪の大手建設機械メーカーの新工場プロジェクトにシステムエンジニアとして参加しました。
そして、数年がかりの大きなプロジェクトの最後に、納入とテストのために3か月の予定で大阪に出張したのですが、様々な問題が発生し、出張期間は予定の倍の6か月に。

週に1度は休ませてもらえましたし、残業代もきっちりつきました。作業の進捗次第ですが有給もとれました。
「8時間以上時間外労働をした翌日は休日とみなす」という社内規定があったため、ピーク時の月の時間外労働は200時間オーバー。時間外手当を含めた月の総支給額は70万円台後半くらいになりました。(普通なら120時間くらいの残業になると思います)
それとは別に出張手当と交通費が出ましたので、給料は丸々残りました。

やりがいもありましたし、お金も稼げましたが、実はこのとき今のカミさんと付き合っていて、「こんなハードな仕事が続いたら結婚できないな」と感じていました。
(こんなに忙しいのは、何か問題が起きた時だけなのですが)

そして、プロジェクトが無事完了した後、私は初めての転職をします。

安定もつかの間・・・バブル崩壊

学生時代からマンガとかイラストを描くのが好きだったので、思い切ってクリエイティブ系の会社に転職することにしました。(長期出張も無さそうでしたし)

当時はちょうどDTP黎明期。
私はコンピューターが扱えるということで、未経験ながら新宿区にある制作会社に入ることができ、画像処理を行う部署に配属され、その後の組織改編で電算写植を経てMacintosh DTPオペレーターとなりました。
Web制作を始めたのもこの頃です。

時代の流れとともに様々な知識を吸収し、それほど忙しくもなく収入も安定していたこの時期に、私は結婚しました。
世間と比較してそれほど高給ではなかったと思いますが、カミさんが専業主婦でも余裕のある生活ができました。

しかし・・・バブル崩壊の足音は近づいていました。
数年後、ベースアップが無くなり、ボーナスが無くなりました。
そしてあっという間に会社は倒産。私は次の就職先を探すことになりました。
ありがたいことに、私の経験を知った同じ新宿区の制作会社からお声がけいただき、新しい会社に入ることができました。

中間管理職と業務の並行で、楽しくもきつい日々

新しい会社に入って数か月後、私は前職の経験を買われて制作部のリーダーとなりました。
会社の業務範囲が広かったため知らないことも多く、そのために残業が増えたりもしましたが、新しい知識を得られることが楽しく、職場の雰囲気も良かったので、まったく苦になりませんでした。

制作部内の進行管理や人事管理(人事評価含む)だけでなく、客先との打ち合わせ、見積もり、ディレクション、外注管理、新技術の導入、社内システムの構築などを行いました。
そして、管理職の仕事の合間にWeb制作をしていました。
独学でPHPとJavaScriptとMySQLを学んで、フルスクラッチでECシステムを作りました。
Flashムービーも作っていました。

年収は、当時の同年代の平均年収より少し高いくらいでした。(交通費などは別です)
しかし、通勤時間を含めると1日の3分の2近くを仕事に拘束されてしまう生活は、やっぱりきつかったです。
転職で電車の乗り換えが増えたために通勤時間が長くなり、行き帰り合わせて3時間弱。
定時後の勤務時間は月にだいたい50~70時間くらいでした。

食事や体のケアはしていたので肉体的にはそれほど問題はなかったのですが、家族には負担をかけていたと思います。

地方でフリーランスになるしかなかった理由

花の都東京で、仕事に燃えていたとき、田舎の母が亡くなりました。
私は一人っ子ですので、母が亡くなると父は一人になってしまいます。
奥さんが亡くなると旦那さんはすぐにダメになってしまうと親戚や知人からさんざん言われ、父の面倒を見るために会社を辞めて京都府北部の舞鶴に帰ることにしました。
京都とは言っても京都駅から特急電車で1時間半。日本海に面した天然の良港を有し、冬は雪がたくさん積もる小さな地方都市です。

ところが、実際に引っ越してきて、都会暮らしの時に軽く考えてきたことが実は大問題だったことが判明します。
大問題とは、カミさんが「車の免許を持っていなかった」ことです。
私が車の免許を持っているからどうにかなるだろうと軽く考えていたのですが、思った以上に車がないと何もできない状況でした。
買い物にも、病院にも、遊びにすら行けません。
私が会社勤めになって日中家にいないと、カミさんは家にいるしかなくなります。
そして、もし何かあったとしても何もできないのです。

実家に戻ってすぐ、後輩に地元の会社の社長さんを紹介していただき、かなり良い条件で正社員に誘っていただいていたのですが、今の状況では会社勤めをするわけにはいかないと思い、外注で仕事を請けさせていただくことになりました。

こうして、私はフリーランスになりました。

フリーランスになって大きく変わった時間とお金

前置きが長くなりましたが、このようにして私は長い会社員時代を経てフリーランスになりました。

フリーランスになって、今年で6年目です。
収入はというと、会社員時代よりは確実に減りました。
ほぼ変わらない年もありましたが、平均すると前職の2割~3割減です。
昨年、節税に失敗したため、今年は住民税と国民年金にかなり苦しめられています。

しかし、収入以上に減ったものがあります。
仕事時間です。
平均して1日3~6時間くらいしか仕事していません。(新技術を試したり、ブログを書いている時間も含んでいます)
拘束時間で考えれば会社員時代の3分の1以下ですから、単位時間の収入はかなり上がったと言えるでしょう。

フリーランスになると仕事以外の雑務が増えると言われていますが、私の場合、会社員時代も中間管理職の雑務と制作業務を並行してやっていたので、他人の管理をしなくてよくなった分雑務は減っていると思います。
会議が無くなったのも大きいですね。
経理については「misoca」「MFクラウド確定申告」を使っているので本当にラクチンです。
確定申告も実質1日くらいで終わります。

ちなみに、営業はほとんどやっていません。

逆に、家族と一緒にいる時間はとても増えました。
基本的に私は仕事部屋にいるので家では一人でいることが多いのですが、食事は一緒だし、2日に1度くらいは買い物に出かけます。週に何度かは一緒に犬の散歩にも行きます。
カミさんには、『いつも家にいられると、ちょっとうっとうしい』と言われてるんですけど(笑)

フリーランスって、ぶっちゃけどうなんだろう?

正直言うと、私にとって今のフリーランスの生活は、以前の会社員生活より良いとは思っていません。

たまたま恵まれていたのかもしれませんが、会社勤めで人間関係で苦労したことはあまりないし、割と言いたいことを言ってたし、中間管理職になって仕事のルールや流れを変えたり出来たし、社外の勉強会にも参加できました。
組織にとらわれずに組織の中で楽しくやってきたので、将来また会社勤めになることがあっても、うまくやっていけると思っています。
何より、仕事をしていれば収入があるというのは、とてつもない安心感があります。

フリーランスは時間の使い方が自分の裁量でどうにかなるので、天気のいい昼間に犬の散歩に行けるし、平日にバーゲンセールや行楽地に行けるし、なにより家族といられるし、良いことがたくさんあります。
でも、収入が安定しないのは結構つらいです。
大きな案件の納期が延びて入金が遅れ、忙しいのにお金の心配をしなくてはならないこともあります。
そして、仕事の合間に雑談したりできないのも、ちょっと寂しいです。

私は、フリーランスになって会社員の良さがわかりました。
フリーランスもこれはこれで悪くはないのですが、会社員でいることができる方には、あえてフリーランスになることはおすすめしません。
会社員だからこそチャレンジできることって、結構たくさんあるんですよ。
会社規模にもよりますが、個人では到底無理な大きな案件に関われると、すごく成長できます。
失敗しても一人じゃないというのは、とても力になるはずです。

今の私はフリーランスでいるしかないので、フリーランスだからこそチャレンジできることを探しながら精一杯頑張っています。
会社勤めをしてたらできないような生活を楽しもうと思って、日々を過ごしています。

たとえば、暖かな春の日に、桜の下で犬と戯れたりとか。

とはいえ、仕事量をもう少し増やして、収入はせめて今の2倍くらいにはしたいと思っているので、お仕事絶賛募集中です。
この先、会社員になれないのであれば、会社を作るしかないかなと思いつつ、とりあえず頑張ってます。
よろしくお願いいたします。

この記事を書いた人

川井 昌彦
川井 昌彦
FAシステムメーカー、国内最大手印刷会社製版部、印刷・ウェブ制作会社を経て、家庭の事情で実家に帰省して独立
現在はフリーランスと制作会社シニアディレクターのマルチワーク
ウェブ制作のほぼ全般を見渡せるディレクター業務が主だが、デザイン・コーディングも好き

1997年ブログ開設
WordPressコミュニティには2011年から参加
WordCamp Kansai 2016 セッションスピーカー
WordCamp Tokyo 2023 パネルディスカッションパネラー
WordBench京都、WordBench神戸、WordPress Meetup八王子など登壇多数

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